鈴鹿F1の思い出(by ジルルカさん)
2006年の日本グランプリをもって鈴鹿インターナショナルレーシングコース(鈴鹿サーキット)でのF1が20年間の歴史に一旦幕を閉じました。
来年からは静岡県の富士スピードウェイでの約30年ぶりの開催が決まっています。
私の家族は、母がアイルトン・セナ、妹がゲルハルト・ベルガー、私はエディー・アーバインのファン(父は特に興味はないようだが家族一緒にF1のTV放送を見ている)という変な一家で、母と妹は91年から鈴鹿に観戦に行っていました。
私は87年のTV放送開始以来TV観戦派を貫いていましたが、94年イタリア・イモラでのサンマリノGPでのセナの事故死から少し考えが変わり、やはり実際に生のF1ドライバーを見てみたいと思うようになりました。
結局鈴鹿へは94年から98年の間の日本GPに足を運びました、以下にその年毎の思い出をつづってみたいと思います。
<1994年>
春に行われたイタリア・イモラのサンマリノGPでセナ、ローランド・ラッツェンバーガーが事故死、ルーベンス・バリチェロが大事故、続くモナコGPではカール・ベンドリンガーも大事故を起こし死線を彷徨う。
そんな悲劇的なスタートを切った94年のF1はベネトン・フォードのミハエル・シューマッハーの一人勝ちのなると思われたが、中盤以降ウィリアムズ・ルノーのデイモン・ヒルが急激にポイント差をつめて日本GPを迎えた。
この年は私は土曜の公式予選2日目のみの観戦、席はB1、シケインから最終コーナーの立ち上がり辺りの席。
当日は生憎の雨だった。当時のレギュレーションでは土曜が雨の場合は金曜の予選1回目のタイムを上回ることが難しく、土曜の予選はレインセッティングの確認だけを行うドライバーが多かった。
印象に残ったのは、マクラーレン・プジョーのミカ・ハッキネンの最終コーナーのラインが他のドライバーと全然違った事と、セナの代役でウィリアムズに乗った元王者ナイジェル・マンセルの存在感・・・彼が出てくるだけでサーキットがどよめく。
あとは雨のなか最後の最後まで走っていたラルース・フォードのエリック・コマスの姿。
それにしてもやっぱりF1は音が素晴らしい、これはTVでは絶対に味わえない。
<1995年>
ベネトン・ルノーのM・シューマッハーがシーズンを席巻した95年は当初鈴鹿には行かないつもりでした、というのも春に行われる予定であったTIサーキット英田(岡山県)でのパシフィックGPが阪神大震災の影響で順延、鈴鹿の日本GPの1週間前に行われることになり、そちらを観戦するつもりだったからです。
しかしF1を2週連続生で見れる機会などそうそう無いと思い直し英田、鈴鹿共に観戦することにしました、ただし出遅れが響き観戦席はバックストレートのK席となった。
この年も雨模様、目の前にオーロラビジョンがあったがレース展開はあまりよく分からなかった。
印象に残っているのは、スプーンカーブでグラベルにコースアウトして砂を拾ったウィリアムズ・ルノーのデイビット・クルサードがバックストレートエンドの130Rへのブレーキングで自分で撒いた砂にのりコースアウトしクラッシュしたシーン、当時の彼は時々そういうポカをしていた。
レースは終始シューマッハーがリードしそのまま優勝、3位に苦労人ジョニー・ハーバート、4位にアーバインが入ったのが嬉しかった。また昨年のモナコGPでの大事故で死線を彷徨ったベンドリンガーがザウバー・フォードから出走したがやはりかつての輝きは戻らなかった、F1に戻れただけでも奇跡に近いがやはりかつての速さを知っているだけに残念で仕方ない。
<1996年>
この年はシューマッハーが戦闘力の劣るフェラーリに移籍、ウィリアムズ・ルノーに乗るヒルがシーズンを通して安定した速さをみせたが、終盤同じウィリアムズの新人ジャック・ビルヌーブ(伝説のフェラーリドライバー ジル・ビルヌーブの息子でアメリカのインディカーチャンピオン)に徐々に追い上げられ鈴鹿決戦を迎えた。
この年は2コーナーのF席で観戦した。2コーナーは追い越しはまず無理でスタンドからコースまでも距離があり迫力という点ではいまいちだけどF1マシンの運動性能を見るには最適、やはりいいマシンはびっくりするほどのコーナリングスピードで曲がっていく。
レースはヒルが終始リードを保つ、ビルヌーブがリタイヤした段階でヒルの年間王者が確定、その後も手綱をゆるめずに優勝した。彼の父グラハム・ヒルも元王者なのでF1史上初の親子王者の誕生となる。
2位にはシューマッハー、3位にはハッキネン、4位にベルがーが入り実力者が上位を占めた。
<1997年>
前年王者のヒルが戦力がかなり劣るアロウズ・ヤマハへ移籍(しかしヒルはハンガリーGPでラスト1周にマシンが壊れるまで1位を走り、その実力を見せ付けた)し、この年はウィリアムズ・ルノーのビルヌーブとフェラーリのM・シューマッハーとの一騎打ちとなり日本GPを迎えた。
シーズン途中にベルがーが来期の休養を発表、その年齢から事実上の引退に等しく、80年代の華やかなF1の匂いを残す最後のドライバーに注目が集まった。
ベルガー最後の日本GPなので彼の大ファンの妹と母と私の3人でメインスタンドのS2で観戦した。家族と並んで観戦するのは初めてだった(これまでは同じ鈴鹿にいながら違うゾーンで観戦していた)。
レースはポールポジションから出たビルヌーブが5位に沈み(レース後に練習走行時の違反行為で失格になる)、M・シューマッハーが優勝した、私が生で初めて見るフェラーリの優勝だった、やっぱりあのチームは人の心を揺らす何かがある。
2位にウィリアムズ・ルノーのハインツ・ハラルト・フレンツェン、3位にフェラーリのアーバインが入った、この2人は全日本F3000出身で鈴鹿には馴染みがあり嬉しかった。
レース終了後、今年で引退が決まっているベルガー(決勝8位)と片山右京(ミナルディ・ハート 決勝リタイヤ)がコンクリートウォールまで出てきて観客に手を振る、みんなで「ゲーハートー」「ウキョー」と必死で声援を送った。
<1998年>
この年はマクラーレン・メルセデスのマシンが開幕以来圧倒的なポテンシャルを見せて他のチームを引き離す展開、信頼性はともかく、ここまで速さで際立つのは92年のウィリアムズ・ルノー以来かと思う。一方フェラーリのM・シューマッハーもこつこつとポイントを重ね、最終戦鈴鹿までタイトル争いを引き伸ばしてきた。
去年のベルガーの引退で私の母と妹はTV観戦派に鞍替え、私は友人と2コーナーのF席で観戦する。
タイトル争いももちろん気になるが、ティレル・フォードの高木虎之介も気になる、マシンがマシンなので上位は望むべくもないがやはり全日本F3000で見せてくれたあのレイトブレーキングは見ものだった。
決勝レースは最初から大波乱だった、1回目のスタート直前プロスト・プジョーのヤルノ・トゥルーリがエンジンストールしスタートやり直し、2回目のスタート直前にはタイトル争いしているM・シューマッハーがクラッチトラブルでエンジンストール!!サーキット全体が凍りつく、声にもならない悲鳴が聞こえる。更にスタートやり直し、M・シューマッハーは規定で最後尾からのスタートとなる。
レーススタート、コーナーを1つ抜け2コーナーに入ってくるマシンたち、うわっ!!M・シューマッハーがもう中段にいる!!
1週後には10台以上抜いてM・シューマッハーが帰ってきた、鬼気迫る走り、マシン自体からなにかすごいオーラが出ている。
高木虎之介がミナルディ・フォードのエスティバン・トゥエロとシケインで接触、やはりトゥエロは経験が浅く高木の鬼のようなブレーキングが想像できなかったようだ・・・マシンの破片が散らばる・・・M・シューマッハーがシケインを越えてストレートを立ち上がってくる・・・おかしい、タイヤがちぎれ飛ぶ!!破片を拾ったようだ。ゆるゆると1コーナーを回り私の視界の中でマインをとめる、コンクリートウォールに座る悔しそうなM・シューマッハーは暫く微動にしなかった。
ハッキネンが優勝で見事年間王者を獲得する、82年以来のフィンランド人チャンピオンの誕生、みんな惜しみない拍手を送る。
2位にはアーバインが入る嬉しい。
98年の鈴鹿のF1は終わった・・・かの様だが、実は続きがあるのです。
実は決勝レースの翌日から鈴鹿で最初で多分最後のF1合同テストが行われたのです。これは翌年からワンメイク供給になるブリジストンタイヤのテストで特に今年他社のタイヤを使っていたチームからの要望で行われたもの。ほとんどのチーム、ドライバーが鈴鹿に残りテストを行った。
テストなので遊園地の入園券さえ買えば観戦?は無料、私も11月3日の祝日に見に行った。
決勝ではなかなか見れない、1コーナーの突込みや、コーナリングを堪能した、のんびりとしたムード漂うなかで見るF1マシン達は素晴らしかった。
この98年を最後に私もTV観戦派に戻り、以後F1では鈴鹿に行っていません。来年の富士もきっとTV観戦だと思います。
でもいつか鈴鹿にF1が戻ってきたら、もう一度レースを見に行きたいと思います。
<完>
サーリセルカ オーロラ紀行【3】(by ジルルカさん)
<2006年12月19日 夜>
さて、この旅行のメインイベント「オーロラハンティング」の時間がやってきた。
今夜のためにわざわざ持ってきた一眼レフカメラと三脚、予備の電池そしてカメラを暖めるためのカイロを準備し、20:50にホテルのレセプションに集合し説明を受ける、基本的には北に向かってオーロラ探しのドライブをするそうだ、時間は約3時間、またフィンランド人のドライバーさんだけで日本語のガイドさん等は付かない。
リエコンリンナからの10名が2台の車に分乗、途中ホリデイ・クラブ・サーリセルカからの2名を拾い、出発。
北に向かうと聞いていたが、いきなり車は西に向かって走る、2〜3分も走れば町の明かりがなくなり暗闇の世界となる。
私は左の窓側の席に座って外を見ていたが、さっきから空にかかっているモヤモヤしたのはなんだろう?
っと、ドライバーさんが急に車を雪原に止めて、フィンランド語で何やら叫ぶ、言葉は全く分からないがもちろん意味は理解できる・・・オーロラだ!!
ドアを開け外に出ると、天の北西から北東にかけて北斗七星をバックに光の帯があり、その形がゆっくりだが刻々と変わる。
最初は初めて見る自然の神秘の凄さにあまりピンとこなかったが、時間を掛けて眺めている間にジワジワと感動があふれてきた、こればっかりは言葉で書けない、夢中でシャッターを切り、夢中で眺める・・・そんな大規模なオーロラではないけれども、やはりすごい。
30分弱眺めていただろうか?寒さともっと凄いオーロラを見たいという欲求が大きくなり一同車に戻る。今度は北に向かって走り出す。
結局この夜は先程見たオーロラしか見ることはできず、残りの2時間はラップランドの夜のドライブとなった、空にはオリオン座が手が届きそうな大きさで見えていた。
24時にホテル帰着、もっと様々なオーロラを見たかった気持ちはもちろんあるが、初めて来たこの地でとにかくオーロラを見ることができた・・・それでよしとしなければね。
サーリセルカ オーロラ紀行【3】終 【4】に続く
秋、帝国に翻弄された世界遺産、スオメンリンナの要塞島(by アリヤンさん)
フィン・エアーの機内誌で知った。ヘルシンキにはスオメンリンナという島がありそれが世界遺産だと、、、
今回の訪問の目玉はこの島に渡ることだ!っと機内で決心した。
マーケット広場にある船着き場ではフェリーの切符販売所には人が居なくて、自動販売機で船のチケットを買う事になっていた。たしか2ユーロくらいだったと思う。
大国ロシア帝国とヨーロッパ列強にはさまれたフィンランドの生き様を体現したような要塞の島でした。また秋風が吹き付けて寒く北欧特有のどんよりとした気候だった。
【旅行時期】2005/10/15~2005/10/16
【エリア】
ヘルシンキ
【テーマ】
【投稿者】
アリヤン
ムーミンとサンタの国(by 永遠の旅人さん)
森と水の国フィンランドは、サンタとムーミンの国でもあります。タンベレのムーミン博物館は一見の価値有りです。ヘルシンキからそう遠くありません。表紙の写真は、エルシンキエキスパートの半日ツアーで、いったヌークシオ国立公園です。(午後発4時間52ユーロ)
フィンランドのサンタ・パーク、解雇した従業員への賠償命じ ...
[ヘルシンキ 26日 ロイター] フィンランドの裁判所は同国にあるテーマパーク「サンタ・パーク」に対し、解雇した小人役の従業員3人にそれぞれ5600ユーロ(約90万円)の損害賠償金を支払うよう命じた。 ...

フィンランド土産
... これはフィンランドで有名な百貨店「STOCKMANN(ストックマン)」の袋です!! ヘルシンキ本店はフィンランド一と言うか北欧一の店舗で、 僕も少し訪れたことがあります! もちろん空港支店でしょうが、 正真正銘のフィンランド土産の証ですね(笑) 中身はmarimekko ...

フィンランドのソプラノ、ヨハンナ・ルサネンのリサイタル
... 最後の2作品を除いて他はすべてフィンランドの作曲家のもの。今ロンドンではあちこちでフィンランドの音楽を特集しているらしい。本日のテーマもSibelius and Beyondというもの。 そのフィンランドの作品では中低音域で声に何か布が被さっているという ...

フィンランド サヴォンリンナの秋
こんばんは。 今日は フィンランド のサヴォンリンナにある オラヴィ城です。 夏にはオペラ・ フェスティバル で賑わうので しょうが、ひっそりしていました。 アヒルさんたちは元気に遊んでいます。 ...

『フィンランド 』或る晴れた日に
... 日本を代表するソーセージ 柿…世界のはっちん柿4位「フィンランド航空」 6位「シンガポール航空」 7位「エールフランス」 11位「オーストリア航空」 15位「キャセイパシフィック航空」 23位フィンランド教育の成功 福田誠治 著 朝日新聞社 1200円+税 2006/5 ...
